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May
22nd
Wed
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(Source: spent, via ak47)

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(Source: pixeldiskus, via mecha3)

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ymbk:


http://bit.ly/17ShbJt photo:dkdahypeman:
foreal

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http://bit.ly/17ShbJt photo:dkdahypeman:

foreal

(via reretlet)

May
18th
Sat
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zenigata:

2chan.net [ExRare]

zenigata:

2chan.net [ExRare]

(via dalimitator)

May
17th
Fri
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bbsmaster:

島崎遥香

bbsmaster:

島崎遥香

(via iro)

May
12th
Sun
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thefrogman:

[video]
May
10th
Fri
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世界がうらやむ、日本のゲーセン文化をとくと見よ!日本のゲームセンター文化を軸に、日米アーケードゲーム文化の歴史と今を描いた、海外製作のドキュ…
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映画のトレイラーや作品本編に楽曲を数曲 使用していただいてます。
ブラッド・クロフォード監督おめでとうございます。
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なぜAKBが売れてあなたの音楽が売れないのかというと、皆忙しくてあなたの音楽に辿り着くまでの時間や労力、関心といったコストを払えないからです。AKBはそのコストをほぼ0にするために莫大なマーケティング費用を払っています。「真っ当な音楽を作ればリスナーがコストを払う」など傲慢です。
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私は以前、定職のなかったころの最後の六年間ほど、ヴァイオリンの恩師の晩年のお世話をしたことがある。その方は、パーキンソン氏病で施設に入っていた。一応の面倒は施設の人がやってくれるが、こまごまとした買い物とか話し相手には困るので、毎週言われたものを持って通ったものである。

そのすぐ前に、母の看病をしていたので、病人の扱いには慣れていたが、老人の病人はほぼ初めての経験だった。

老人には、昔食べたおいしいものの記憶が鮮明に残っているようで、しばしば申し付かった。戦前のモダン・ボーイらしく、洋菓子の注文が多かった。それも、高円寺のトリアノンのシュークリームが食べたい、というように店の指定つきである。

いまどきシュークリームなどどこにでもある。幸い緑内障で眼も見えないから、適当にごまかしておけばいいようなものであるが、万一見破られた場合、多いに具合が悪いので、結局指定された所までそのつど出向いたものだ。よほど暇だったからできたのだと思う。

ところが、せっかくそうやってお持ちした菓子も、食べてみると思い描いたような味はしない。店の味が変わったというより、先生の身体が、もう受け付けないのである。一口だけ口にして「もういいです」と言われる。こうやって、一つ一つこの世の歓びと決別する場に、私は立ち会うことになった。
May
9th
Thu
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f1inmotion:

A weekend on Ayrton Senna’s farm: close friends & nephews karting with Ayrton on his own private 1km circuit.

(via exposition)

May
8th
Wed
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お金に執着心がないひとほど
お金儲けを大事にしなければならない

お金に執着心が強いひとほど
お金儲け以外のことに気をつけたほうがいい

そしてお金から自由になる為には
ある程度のお金が必要なのさ

アーティストのひとは
お金を稼ぎなさい☆

お金が嫌いだからって無視してたら
逆にお金に縛られちゃうよ☆

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May
7th
Tue
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m0m0ko:

jesus fucking christ

m0m0ko:

jesus fucking christ

(Source: anime-ebooks)

May
5th
Sun
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kazesaeki:

森永純さんの写真集『WAVE』の予約を開始しました。限定800部です。ご興味ある方は、こちらのホームページでお申し込みください。 http://www.kazetabi.jp/森永純-wave-写真集販売/ 森永純さんは、ユージンスミスが号泣したと言われるドブ川の写真集「河 累影」(邑元社)を出した後、30年以上の長きにわたり、ひたすら波の写真を撮り続けている。 1970年代のはじめ、日本の写真界を牽引していながら、森永純さんは、写真集をこれまでに『河 累影」(邑元社)の一冊しか世に出していない。 「河 累影」は伝説的な写真集となって、今も根強いファンがいるが、森永さんは、写真集を作ることや、写真を発表することを主目的とせず、自分の内的必然性において、ひたすら写真を撮り続ける。誰かに見てもらいたいなどという媚びた欲求は持っていないのだ。 そのストイックなまでの写真がユージンスミスの心を直撃し、男泣きしたと、ユージンスミス自身が後に語っている。 ユージンスミスは、森永さんが撮ったドブ川の写真に、原爆のイメージを見いだしていた。 森永さんは、長崎県出身で、原爆によって、家と父と姉を失っている。長崎に原爆が投下された時、森永さんは、佐賀県に疎開していた。 戦争が終わって、自宅に戻ってきた森永さん。そこには、夏の強い日差しに輝く白い空間だけがあった、悲しみとか怒りといった感情は湧いてこなかった言う。 森永さんの戦後は、その白い空虚から始まった。だから、森永さんは、1960年代のはじめ、ヘドロで悪臭漂う東京のドブ川の写真を狂ったように撮影し続けていた時、原爆のことはまったく考えていなかった。ただひたすら、自分の内的衝動にしたがって、ヘドロの川面すれすれのところまで顔を近づけて撮影していた。 そして、森永さんは、そのヘドロの中に、生物が生きていることを発見していた。 森永さんは、自分が撮ったドブ川の写真と、原爆を結びつけられることを嫌う。原爆を意識して撮ったことなんか一度もないからだ。しかし、ユージンスミスは、その写真の中に、原爆の影を見た。森永純さんが長崎出身だということを知らずに、森永さんと原爆の関係を見抜いていた。ドブ川の得体の知れない強烈なイメージが、彼の胸を貫き、泣かざるを得なかったのだ。 そんな森永さんは、東京のドブ川を撮り切った後、ひたすら波の写真を撮り続けてきた。戦後、白い空虚から歩みを始めた森永さんは、戦後の日本社会に次々と建造されていく物質世界が、全て蜃気楼に見えていたのだろうか。そうした世相的なことにまったく関心を持たず、ドブ川を撮り、その後に波を撮り続けて、写真家人生をまっとうしてきた。 森永さんが撮った波の写真は、巷でよく見られる癒し系の波写真とはまったく異なっており、それはまさしく森羅万象の根本的な律動。その律動は、当然ながら、命あるわれわれの中に息づいている生のリズムでもある。 ヘドロだらけのドブ川の中に微細な生物を見いだしていた森永純さんは、波を通して、生と死の本質的な様相を嗅ぎ取っていたのだろうか。生が有で死が無なのではなく、もしかしたら、生死は波の起伏にすぎないかもしれない。 もちろん、そんな分別を持って撮影していたわけではないだろうが、森永さんは、船に乗って波を見つめ続けている時、意識が溶け消え、恍惚とした境地のまま、何度も波の中に身を投じてしまいそうになって、とても危険だったと述懐していた。  私が、風の旅人の第35号の特集で、森永さんの波の写真を紹介したいと申し出た時、森永さんは、30年も撮り続けていながら、まだ完成していないからと拒んだ。そこをなんとかお願いして、16ページほど紹介させていただいた。 その時、森永さんのイメージの中では、あと4つほど波の相が必要だということだった。それが撮れるまで、波の仕事は終わらないと言っていた。 波というのは、それなりに絵になるので、波の写真を撮って写真集にしている人はたくさんいる。あまり時間をかけることなく、同じ場所に立って、ザブンザブンと押し寄せてくる波を待って撮っている写真を作品だと言って発表している人もいる。そういう写真集は、すぐに飽きてしまう。人間が波を自分の都合の良いように切り取ったところで、それは波ではなく、波のごときデザインでしかない。 森永さんは、かつてドブ川に取り憑かれていたように、波の複雑精妙さに取り憑かれて、30年以上も撮り続けている。森永さんは、何度見ても、波の中に新しい魅力を発見して飽きることがない。そういう人が撮った波の写真もまた、飽きることのない魅力がある。 その写真は、刻々と変容していく波が見せる瞬間ごとの美しい相ではあるが、撮影によって波の動きを切断したという感じはせず、それ以前の動きと、それ以降の動きをつなぐ絶妙な均衡がとらえられていると感じる。それゆえ、写真という静止空間にもかかわらず、波全体および各部分がうごめき、波そのものの生が持続していることが伝わってくる。波は、それ以前の力を受けて次へと伝えながら絶え間なく変化し続けているが、どの一瞬を切り取っても同じものはない。波の一つ一つは常に新しい形を見せる。しかし、全体として見れば、いつまでも変わらない波ならではの摂理がある。繰り返し繰り返し、これまでも、そしてこれからも、その時ごとの必然性のなかで、なるべくしてなるように全体と部分を整えながら、次なる動きを生みだしている。  波のリズムというのは、間違いなく記憶の深いところに働きかける力がある。そして、波そのものにこれだけ深く自己投入して撮影を続けてきた人は、森永さんを置いて、他にいない。

kazesaeki:

森永純さんの写真集『WAVE』の予約を開始しました。
限定800部です。ご興味ある方は、こちらのホームページでお申し込みください。
 http://www.kazetabi.jp/森永純-wave-写真集販売/

 森永純さんは、ユージンスミスが号泣したと言われるドブ川の写真集「河 累影」(邑元社)を出した後、30年以上の長きにわたり、ひたすら波の写真を撮り続けている。
 1970年代のはじめ、日本の写真界を牽引していながら、森永純さんは、写真集をこれまでに『河 累影」(邑元社)の一冊しか世に出していない。
 「河 累影」は伝説的な写真集となって、今も根強いファンがいるが、森永さんは、写真集を作ることや、写真を発表することを主目的とせず、自分の内的必然性において、ひたすら写真を撮り続ける。誰かに見てもらいたいなどという媚びた欲求は持っていないのだ。
 そのストイックなまでの写真がユージンスミスの心を直撃し、男泣きしたと、ユージンスミス自身が後に語っている。
 ユージンスミスは、森永さんが撮ったドブ川の写真に、原爆のイメージを見いだしていた。
 森永さんは、長崎県出身で、原爆によって、家と父と姉を失っている。長崎に原爆が投下された時、森永さんは、佐賀県に疎開していた。
 戦争が終わって、自宅に戻ってきた森永さん。そこには、夏の強い日差しに輝く白い空間だけがあった、悲しみとか怒りといった感情は湧いてこなかった言う。
 森永さんの戦後は、その白い空虚から始まった。だから、森永さんは、1960年代のはじめ、ヘドロで悪臭漂う東京のドブ川の写真を狂ったように撮影し続けていた時、原爆のことはまったく考えていなかった。ただひたすら、自分の内的衝動にしたがって、ヘドロの川面すれすれのところまで顔を近づけて撮影していた。
 そして、森永さんは、そのヘドロの中に、生物が生きていることを発見していた。
 森永さんは、自分が撮ったドブ川の写真と、原爆を結びつけられることを嫌う。原爆を意識して撮ったことなんか一度もないからだ。しかし、ユージンスミスは、その写真の中に、原爆の影を見た。森永純さんが長崎出身だということを知らずに、森永さんと原爆の関係を見抜いていた。ドブ川の得体の知れない強烈なイメージが、彼の胸を貫き、泣かざるを得なかったのだ。
 そんな森永さんは、東京のドブ川を撮り切った後、ひたすら波の写真を撮り続けてきた。戦後、白い空虚から歩みを始めた森永さんは、戦後の日本社会に次々と建造されていく物質世界が、全て蜃気楼に見えていたのだろうか。そうした世相的なことにまったく関心を持たず、ドブ川を撮り、その後に波を撮り続けて、写真家人生をまっとうしてきた。
 森永さんが撮った波の写真は、巷でよく見られる癒し系の波写真とはまったく異なっており、それはまさしく森羅万象の根本的な律動。その律動は、当然ながら、命あるわれわれの中に息づいている生のリズムでもある。
 ヘドロだらけのドブ川の中に微細な生物を見いだしていた森永純さんは、波を通して、生と死の本質的な様相を嗅ぎ取っていたのだろうか。生が有で死が無なのではなく、もしかしたら、生死は波の起伏にすぎないかもしれない。
 もちろん、そんな分別を持って撮影していたわけではないだろうが、森永さんは、船に乗って波を見つめ続けている時、意識が溶け消え、恍惚とした境地のまま、何度も波の中に身を投じてしまいそうになって、とても危険だったと述懐していた。
 
 私が、風の旅人の第35号の特集で、森永さんの波の写真を紹介したいと申し出た時、森永さんは、30年も撮り続けていながら、まだ完成していないからと拒んだ。そこをなんとかお願いして、16ページほど紹介させていただいた。
 その時、森永さんのイメージの中では、あと4つほど波の相が必要だということだった。それが撮れるまで、波の仕事は終わらないと言っていた。
 波というのは、それなりに絵になるので、波の写真を撮って写真集にしている人はたくさんいる。あまり時間をかけることなく、同じ場所に立って、ザブンザブンと押し寄せてくる波を待って撮っている写真を作品だと言って発表している人もいる。そういう写真集は、すぐに飽きてしまう。人間が波を自分の都合の良いように切り取ったところで、それは波ではなく、波のごときデザインでしかない。
 森永さんは、かつてドブ川に取り憑かれていたように、波の複雑精妙さに取り憑かれて、30年以上も撮り続けている。森永さんは、何度見ても、波の中に新しい魅力を発見して飽きることがない。そういう人が撮った波の写真もまた、飽きることのない魅力がある。

 その写真は、刻々と変容していく波が見せる瞬間ごとの美しい相ではあるが、撮影によって波の動きを切断したという感じはせず、それ以前の動きと、それ以降の動きをつなぐ絶妙な均衡がとらえられていると感じる。それゆえ、写真という静止空間にもかかわらず、波全体および各部分がうごめき、波そのものの生が持続していることが伝わってくる。波は、それ以前の力を受けて次へと伝えながら絶え間なく変化し続けているが、どの一瞬を切り取っても同じものはない。波の一つ一つは常に新しい形を見せる。しかし、全体として見れば、いつまでも変わらない波ならではの摂理がある。繰り返し繰り返し、これまでも、そしてこれからも、その時ごとの必然性のなかで、なるべくしてなるように全体と部分を整えながら、次なる動きを生みだしている。
 
 波のリズムというのは、間違いなく記憶の深いところに働きかける力がある。そして、波そのものにこれだけ深く自己投入して撮影を続けてきた人は、森永さんを置いて、他にいない。